共感翻訳は、常に使われる技法ではありません。
むしろ、使わずに済むなら、それでよいものです。
はじめに
人と人が自然に通じ合っているとき、説明も、解釈も、翻訳も必要ありません。言葉はそのまま届き、関係は滑らかに進みます。
それでも現実には、
「説明しているのに伝わらない」
「相手は正しいのに、なぜか苦しい」
「何が問題か分からないまま、関係が重くなる」
——そうした瞬間が、確かに存在します。
共感翻訳は、そのような特定の瞬間にだけ立ち上がる行為です。この研究ノートでは、「どのような場面で共感翻訳が必要になるのか」その輪郭を整理します。
共感翻訳は「問題」から始まらない
共感翻訳が必要になる場面は、必ずしも「問題が起きている状態」ではありません。誰かが未熟だからでも、誰かが悪意を持っているからでもありません。
多くの場合、起きているのは
- ・評価軸の不一致
- ・感情が生まれた文脈の未共有
つまり、何を大切に見ているか、何と比べて判断しているか、なぜその感情が生まれたのか。これらが翻訳されないまま交差している状態です。共感翻訳は、「正しさを調整する技法」ではなく、「意味の座標を合わせるための翻訳行為」です。
共感翻訳が立ち上がる三つの典型場面
研究ノートとして、ここでは共感翻訳が立ち上がりやすい場面を三つに整理します。
① 「分かってもらえない」と感じたとき
事実は説明している。状況も伝えている。それでも、どこか通じていない感覚が残る。
このとき起きているのは、感情そのものではなく、「感情の由来」が翻訳されていない状態です。
どこに引っかかったのか、何が揺れたのか。そこが共有されていなければ、言葉は届いているようで、関係はすれ違います。共感翻訳は、感情が生まれた構造を翻訳するために立ち上がります。
② 「相手は正しいのに、苦しくなる」とき
助言は合理的で、論理も整っている。それでも、心が追いつかない。
この場面では、評価軸や比較対象が異なっていることが多くあります。
- 相手は「結果」を見ている / 自分は「過程」を見ている
- 相手は「一般」を基準にしている / 自分は「個別」を基準にしている
共感翻訳は、異なる評価軸が存在していることを、関係の中に可視化する行為です。
③ 沈黙や違和感だけが残るとき
何が問題か、言葉にできない。でも、関係が少しずつ歪んでいく。このような場面では、願いや前提が翻訳されないまま置き去りになっています。
本当はどうしたかったのか、どんな関係でありたかったのか。共感翻訳は、沈黙の中に含まれている願いを、そっと翻訳する行為です。
なぜ「翻訳」という言葉を使うのか
説明では足りない。共感だけでも足りない。解決策の提示でも、関係は回復しない。それらをつなぐ行為として、「翻訳」という言葉が必要でした。
翻訳とは、相手を変えることではなく、自分を正当化することでもなく、正解を押しつけることでもありません。異なる世界の見え方を、同じ場に並べ直す行為です。
共感翻訳は、感情・価値・前提を関係の中で読み替えるための実践です。
おわりに
共感翻訳は、介入ではありません。誰かを導く技法でもありません。それは、関係のあいだに意味の橋を架ける行為です。
渡るかどうかは、相手の自由です。立ち止まることも、引き返すことも許されています。
ただ、橋があることで「渡れなかった理由」が誤解ではなく、構造として理解される。そのために、共感翻訳は、静かに立ち上がります。

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