「翻訳」という言葉が浮かんだときのこと。
相手の話を前にして、言葉が出てこなかったことがあります。
言葉は心を越えない
気持ちは分かる。少なくとも、分かったような気はしている。
それでも、何をどう返せばいいのか分からず、時間だけが過ぎていく。そんなとき、ふと頭をよぎったのが、チャゲアンドアスカの「Say Yes」にある一節でした。
「言葉は心を越えない」
この言葉をどう受け取ればいいのか。分かろうとしているのにうまく処理できない場面で、このフレーズが静かに浮かんでくることがありました。言葉を“道具”とするなら、心はその“使い手”なのだろうか。
心のスナップ
心というものは移ろいやすく、つかみどころがない。だからこそ私は、心を一つの結論にまとめるというより、「今この瞬間の心を切り取ったスナップ」のようなものとして捉えるようになりました。
そのスナップには、いろいろな景色が写り込みます。過去の出来事、これからへの期待、今感じている戸惑い。それらが地続きになっていることもあれば、どこかで途切れているように感じることもある。その濃淡が、表情や態度に現れてくるのだと思うのです。
揺れる双方の心象
もし、目の前にいきなりそんな心のスナップを差し出されたら、「はい、分かりました」と流れるように受け取ることは難しいでしょう。もしそれが簡単にできるのなら、「言葉は心を越えない」という歌詞の重さは、まったく違ったものになってしまう。
相手の心象を受け取ろうとするとき、同時に、自分自身の心象とも向き合わざるを得ません。双方が揺れている状況では、自分を保つことだけで精一杯になることもある。そのとき、相手の心象を丁寧に読む余裕は、すでに足りなくなっているのかもしれない。
立ち尽くした先にある「引っかかり」
それでも、何とかしなければならないという切迫感が生まれます。焦って結論を急ぐのか、立ち止まって悩み続けるのか。そのどちらを選んでも、言葉を選びきれずに立ち尽くしてしまうという経験をした人は、少なくないのではないでしょうか。
「ああ、こういうとき、なんて言えばいいのだろう」
この混乱をどう整理し、どう表現すればいいのか。ここに、私は強い引っかかりを覚えました。
「翻訳」への視点
少し距離を取って眺めてみると、「なんて言ったらいいかわからない」という感覚は、言葉を別の形に置き換えようとする試みにも見えてきました。
それは、母国語を他の言語に置き換える意味での「翻訳」に近い。
翻訳では、文化や背景が違えば、言葉をそのまま置き換えられないことがあります。逆に、相手の文化を踏まえなければ、意味が伝わらないこともある。そう考えると、「思いを包括して言い換える」という意味での翻訳が、ここに重なってくるように感じられたのです。
手放さない感覚
共感しようとするだけでは届かず、理解しようとするだけでは壊れてしまう場面で、「翻訳」という言葉が、なぜか静かに残りました。
思いを整理して口にするときには、文化や背景、気持ちの流れを一度交通整理する必要があります。どうすればそれができるのか。この問いが、研究として見えてきた景色でした。
まだ輪郭はぼんやりしている。けれど、何も見えないわけではない。
この先にある何かのために、私はこの感覚を手放さず、研究を続けていこうと思っています。

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