研究ノート7|AIが優しくなりすぎた社会で、何が起きているのか
「AIは助かる」その一方で残る、説明しきれない違和感について。
目次
はじめに|研究ノートとして、ここから何を書くのか
研究ノート6まででは、共感翻訳という考え方や、その基本的な構造について書いてきました。
ここから先の研究ノートでは、「共感翻訳をどう使うか」よりも、なぜ、今この考え方が必要になってきたのかという背景を、少しずつ言葉にしていこうと思います。
その最初のテーマが、AIがとても優しくなった社会で起きている変化です。
※本稿は「内部仕様の断定」ではなく、生活や現場での受け取り方(体感)の変化として整理します。
1.AIは、確かに「優しく」なった
少し前までのAIは、どこか無機質で、事務的な存在でした。正しい情報は返してくれるけれど、気持ちに寄り添うようなやり取りは、あまり期待されていなかったと思います。
ところが今は違います。
- ・こちらの気持ちをくみ取ったような言葉が返ってくる
- ・否定せず、受け止めてくれる
- ・「それはつらかったですね」と、自然に共感してくれる
これは、間違いなく大きな進歩です。実際、夜中に一人で悩んでいた親御さんが、AIの言葉に少し救われた、という話もよく耳にします。
この点について、AIを否定する理由はまったくありません。
補足|「やさしいAI」をめぐる体感の変化(4o / 5.1系 / 5.2系)
ここで少し、実務的な話にも触れておきたいと思います。
対話型AIは、バージョンアップを重ねながら進化してきました。その過程で、ユーザーのあいだでは「言葉の温度」や「距離感」について、さまざまな語られ方が生まれています。
たとえば一部では、次のように語られることがあります。
- ・4oは、より親しみやすく、話しかけやすいと感じた
- ・5.1系では、実務的な機能向上を感じる一方、応答が事務的(冷たく)に感じたことがある
- ・5.2系では、実務性に加えて、対話の自然さや親しみやすさが戻った(増した)ように感じた
※ここでは「そう感じた人がいた」という体感の整理であり、仕様や意図を断定するものではありません。
ここで注目したいのは、どのバージョンが良い・悪いということではありません。
多くの人が「AIの言葉の温度」や「距離感」に敏感に反応しているという点です。それだけ、AIが私たちの生活や思考に、深く入り込む存在になってきた、とも言えるのかもしれません。
そして、こうした変化の中で、「たしかに助かるのに、どこか違和感が残る」という感覚が生まれてきたとしても、不思議ではありません。
2.それでも残る、説明しきれない違和感
一方で、こんな声も聞こえてきます。
- たしかに整理はできたけれど、現実は変わらない
- 分かった気がするのに、同じことでまた悩んでしまう
- 優しい言葉をもらったのに、気持ちが落ち着かない
例:夜中にAIに相談して、「なるほど、そういう特性なんですね」と理解できた気がする。
でも翌日、子どもと向き合ったとき、どう声をかければいいのかは、やっぱり分からないままだった。
このとき感じる違和感は、「AIの答えが間違っていた」というものではありません。整理された説明と、目の前の現実のあいだに、少し距離がある感覚です。
3.これは「AIが悪い」のではない
ここで大切なのは、この違和感を「AIの問題」にしてしまわないことです。
AIは、情報を整理し、言葉にすることがとても得意です。けれど、その言葉を受け取った人が、
- 今、どんな状態なのか
- どんな不安を抱えているのか
- 何を大切にしたいと思っているのか
というところまでは、引き受けきれません。
起きているのは、AIと人のあいだに、何かが挟まっていない状態なのではないか。
つまりこれは、AIそのものの善し悪しよりも、AIと人の関係性の扱い方に関わる話だと考えています。
4.共感が「すぐ手に入る」ようになった社会
もう一つ、気になっている変化があります。それは、共感が、以前よりもずっと簡単に手に入るようになったということです。
少し言葉を入力すれば、受け止める言葉が返ってくる。それ自体は、悪いことではありません。
ただ、その結果として、
- ・共感が深く残らない
- ・気持ちが通り過ぎていく
- ・自分の中で意味が育ちにくい
近年、「AIに相談する回数が増えた」「手放しにくくなった気がする」といった語りも見られます。
ここで言いたいのは危険性の断定ではなく、安心が得られるからこそ、関係が強く結びつきやすい構造がある、という点です。
「共感が消費される」という表現は少し強いかもしれません。けれど、回復する力が、自分の外側に置かれやすくなるという感覚は、確かに存在しているように思います。
5.ここから、何を考えていきたいのか
この研究ノートでは、AIを否定することも、共感を疑うことも、目的ではありません。
考えていきたいのは、
- なぜ、こうしたすれ違いが起きるのか
- 見方を少し変えると、何が見えてくるのか
- 人の意味や願いは、どこに置かれるとよいのか
という点です。
共感翻訳は、そのための「答え」ではなく、間に置くための考え方として生まれました。
※次回以降の研究ノートでは、「わかってもらえた気がする」だけでは足りない理由や、解釈が固定されるときに何が起きるのかを、もう少し具体的に扱っていきます。
おわりに|固定ページとの関係について
こうした背景を整理するために、「AI社会と、共感が壊れないために」という固定ページを作りました。固定ページでは、Kotone共感翻訳研究所としての立場や前提をまとめています。
研究ノートでは、そこに至るまでの思考の過程を、一つずつ書き残していく予定です。
次回は、今回触れた「すれ違い」が、もう少し具体的にどんな形で現れているのかを、考えてみようと思います。
© Kotone共感翻訳研究所

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