何度も、同じような場面に出会ってきました。
本人は確かに何かを感じているのに、それを言葉にできない。
周囲も分かろうとしているのに、話せば話すほど、どこかが噛み合わなくなっていく。
その場には、怒りや不安よりも先に、説明できない「違和感」だけが残ります。
最初は、それを単なるコミュニケーションの問題だと思っていました。言い方が悪いのか、伝え方が足りないのか、あるいは理解力の差なのか。
けれど、同じことが何度も起きるうちに、どうもそれだけでは説明できない、と感じるようになりました。
問題は言葉そのものではなく、言葉になる前に、すでに何かがずれているのではないか。
言葉は、思いが重なった末の“結晶”
人は時折、「自分の気持ちわかってよ!」と叫びたくなることがあります。
この一言は、単なる感情の爆発ではなく、適切に伝えられなかった思い、受け止めきれなかった関係……そうした要素が重なった末に、ようやく言葉になった“結晶”のようなものだと、私は感じています。
裏を返せば、その手前には、まだ翻訳されていない気持ちや思考がある、ということでもあります。
ここで私が気になったのは、二つの点でした。
- ① 伝える前に、自分の気持ちや思考が整理されているか
- ② 整理されたとして、それを相手が受け取れる形になっているか
どちらか一方でも欠けていると、このモヤモヤはなかなか解消されません。分かっているはずなのに、できない。だからこそ、人は自分を責めたり、相手を責めたりします。
もしそれが簡単にできることなら、「愚痴」という言葉が、これほど世の中に広まることはなかったのではないでしょうか。
理解の問題ではなく、翻訳の問題
共感しようとしても、分析しようとしても、どこかで誰かが置き去りになる。
そんな経験を重ねる中で、少しずつ浮かび上がってきたのが、「これは理解の問題というより、翻訳の問題なのではないか」という感覚でした。
ここでいう翻訳は、日本語を外国語に置き換えることではありません。
- 自分の気持ちや考えを、別の言い方で捉え直すこと。
- 相手の言葉を、その人なりの背景ごと受け止め直すこと。
そうした行き来を通して、気持ち・考え・行動が、もう一度つながり直していく。
その営みを指す言葉として、私は「共感翻訳」という言葉を使うようになりました。
不完全で、揺れ続けている場所
調べてみると、この言葉は今のところ私のサイト以外ではほとんど使われていません。だからといって、新しい言葉を作ること自体が目的だったわけではありません。
人の行動の理由を、さまざまな角度から知りたい。その願いに、今いちばん近い言葉が、たまたまこれだった、という感覚に近いのです。
「言葉にならない気持ちに地図をつくり、
人が『自分の人生の主人公』として歩める社会をひらく」
Kotone共感翻訳研究所 理念
まだ、この考え方は完成していません。むしろ、不完全で、揺れ続けている状態だと思っています。
この研究ノートは、その揺れや試行錯誤を、そのまま書き留めていくための場所です。
ここから、少しずつ整理し、翻訳し直しながら、考えを深めていけたらと思っています。

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