共感している「つもり」だった、あの場面について

研究ノート2|共感している「つもり」だった、あの場面について・・・
寄り添っていたはずなのに、なぜかズレてしまった—— あの場面を、責めずに振り返ってみます。

はじめに|違和感だけが残った、あの瞬間

あとになって思い返すと、
「ちゃんと共感していたはずなのに、なぜか噛み合わなかった」
そんな場面が、誰にでも一度はあるのではないでしょうか。

相手の話を遮らず、
気持ちを受け止め、
否定もしなかった。

それでも、会話のあとに残ったのは、
うまくいかなかったような、説明できない違和感

「共感しているつもり」は、どこで生まれるのか

多くの場合、私たちは善意で共感しています。
相手を傷つけないように、
正解を押し付けないように。

けれど、その優しさの中で、
無意識のうちにこんなことが起きています。

相手の言葉を聞きながら、
自分の中の「分かりやすい意味」に置き換えてしまう

それは悪意ではありません。
むしろ、人が自然に行う理解のプロセスです。

例|親の立場で起きやすい場面

たとえば、子どもについて悩んでいる親御さんが、
こんなふうに話したとします。

「どう関わればいいのか、分からなくなってしまって……」

それを聞いた相手が、

「毎日大変ですよね」
「それは不安になりますよね」

と返したとき、
会話としては、決して間違っていません。

それでも、親御さんの中に
言い切れなかった何かが残ることがあります。

共感はあった。でも、翻訳は起きていなかった

このとき起きているのは、
「共感の不足」ではありません。

起きているのは、

気持ちは受け止められたが、
その気持ちがどういう構造で生まれたのか
まだ言葉になっていない状態

つまり、
共感はあったけれど、
翻訳は、まだ始まっていなかったのです。

「ズレた」のではなく、「置き場所がなかった」

共感している「つもり」だった場面では、
しばしば次のことが起きています。

  • ・相手の言葉を、すぐに意味づけてしまう
  • ・安心させることを優先してしまう
  • ・問いが立ち上がる前に、会話を閉じてしまう

その結果、
相手の中にあった違和感や迷いが、
どこにも置かれないまま残ってしまう。

共感翻訳が向き合おうとしているもの

共感翻訳は、
「ちゃんと共感できているか」を評価しません。

それよりも、

その人の言葉が、
その人自身の中で扱える形になっているか

という点を大切にします。

共感している「つもり」だった、あの場面は、
翻訳の入り口に立っていた場面だったのかもしれません。

おわりに|失敗ではなく、兆しとして

共感していたはずなのに、
どこか噛み合わなかった——

その経験は、
誰かを傷つけた証拠でも、
自分の力不足の証明でもありません。

むしろ、

もっと丁寧に理解したい、
という願いが生まれた瞬間

だったのだと思います。

次の研究ノートでは、
この「翻訳されないまま残った感覚」が、
どのように積み重なっていくのかを見ていきます。

© Kotone共感翻訳研究所

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